January 02, 2014

沖縄。



沖縄。

小学校の時分に地元自治体の「少年の船」事業で初めて行ってから何度となく訪れ、2014年の正月も沖縄で迎えました。

沖縄旅行は「ビーチとマリンスポーツ」「琉球」「戦争と慰霊」「熱帯の自然」、いろいろな側面があって飽きることはないですけど、今回の年末年始の沖縄南部滞在はまた別の角度からの沖縄です。

40年近く前に沖縄に移り住んだ親戚を訪ねたのですが、それだけの時間を沖縄で過ごすと立派にうちなーんちゅ(沖縄の人)。現地の暮らしを垣間見ることになりました。

「100才を超えて亡くなった人の葬式、香典返しはヤクルト」「車社会。で、車で30分以上の距離は『遠い!』」「子ども3人は普通。4、5人でも特に驚きはない」、そんな「沖縄あるある」を聞きながら、知人の米軍関係者のエスコートで嘉手納基地内に入りお買い物&ランチ。アメリカに行ったことはないんだけど、基地内は「アメリカ」って感じでしたよ。

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私がまだ乳母車に乗せられていた頃に同居していて、私をすごく可愛がってくれていたという親戚のおばちゃんが数年前に他界したんですが、当時アフリカに赴任していた私は葬式に行くことができなかったんです。

そのおばちゃんの遺骨は残波岬からそう遠くない真栄田のサトウキビ畑の中の墓地に納められていました。サンゴの欠片で敷き詰められた近くの小さな入り江で甥、姪を遊ばせながらお墓参り。初めて聞く遠い日の話を聞きながら、手を合わせてきました。

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日本、アメリカ、そして琉球。3つのアイデンティティが混ざり合う暮らし。決して楽ではないけれど、おおらかに、マイペースに受け入れる南国の気性。別に沖縄生まれでもないのに、抗しがたい愛着を感じるのです。

夕飯は、地元の人がオススメのアメリカンなレストラン。米兵に混じってオバアもステーキやバーガーを食べに来る土地柄に沖縄を感じながら、暖かな元旦の夜は更けていったのでした。




あけましておめでとうございます。



December 29, 2013

買ってよかった物、ダメだった物ランキング2013。

東京暮らし再開して1年余り。春夏秋冬一巡り。なかなか大変な局面もありましたが、今は穏やかな年の瀬を迎えています。

で、唐突ですが年末なので2013年を振り返って、今年の買った物の中でよかった物、ダメだった物の極めて個人的なランキング発表しとく。

ダメだった物・第3位:電球型蛍光灯












電球が切れてすぐに必要だったのに、LEDタイプはなぜかどこも売り切れ。やむなく買った蛍光灯タイプ。電球が必要なところって、スイッチを入れたらすぐに明るくなってもらわなきゃ困る場所なのに、十分に明るくなるまでに時間がけっこうかかるのがストレスでした。結局、とりあえず白熱電球を買い直してきた。エコじゃない私。


ダメだった物・第2位:カゼインプロテイン












今年は夏に骨折して、秋にジム通いを再開しました。筋トレしたら十分なタンパク質の摂取が必要です。で、トレーニング友だちからオススメされたのがこれ。ホエイプロテインよりコスパいいよーって言うし。
ところが、最初は気付かなかったんだけど、胸や背中に吹き出物ができやすくなったのはどうもこれを摂り始めからな気がする…ん?なんか体臭が変、っていうか臭くなってない?…加齢かと思ったんだけど、摂るのやめたら元に戻ったので、原因はカゼインプロテインだったのはほぼ確実。個人差があるんだと思うけど、俺的にはダメでした。

ダメだった物・第1位:シャープの掃除機(EC-ST20-S)












今年の最悪のお買い物。さすが「プラズマクラスター」とかアヤシイ機能を前面に掲げるメーカーらしいどうしようもない掃除機でした。「エコ機能」とか「直立させると停止」とかの機能がいちいち余計でイライラする。余計な機能はついてるのに、掃除機としての基本機能がおろそか。伸縮可能なハンドルがしっかりと固定されず掃除中にガタガタ伸びたり縮んだりしてイライラ。そして、20㎡くらい掃除しただけで「フィルターお掃除サイン」が出て、フィルターを水洗いしろと言い、水洗いしたら十分に乾かしてから使えと言う。思った時に使えない掃除機。もう二度とシャープの製品は買わないと私が誓うことになった商品です。

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続いて、今度は買ったよかった物ランキング。

よかった物・第3位:家事代行サービス(物じゃないけど)











足を骨折して身動き不自由な時に、友だちから提案されたんです。狭いマンションの一室に一人暮らしなのに家事代行サービスとは贅沢じゃないか、とは思ったんだけど、背に腹はかえられぬ。で、頼んでみたらこれは良い!骨折のせいで出来なかった家事作業だけじゃなく、元気な時でも見て見ぬ振りをして放っておいた水回りのお掃除など、ちゃんとやってくれる。それも、独り身の部屋くらいだとたまに来てもらうだけで十分なので、そんなにお金がかかるわけでもないんだね。骨折が治っても、時々頼んでしまってます。


よかった物・第2位:「壁美人」石膏ボード用固定金具

ホッチキスで石膏ボードの壁にフックを取り付けられるという金具。金具を外した後はホッチキスの針の径の穴しか壁に残らないので、穴あとが目立たない。なのに、けっこうな重量物もぶら下げられるという優れもの。賃貸マンションだと壁に穴をあけたら退出するときに原状回復義務がどうの敷金がどうのこうので揉めそうなんですが、これだとほとんど目立たないので壁にフックを付けても(だぶん)大丈夫。この金具を使って壁にフォトフレームを架けましたー。

よかった物・第1位:BOSE SoundLink Air digital music system












栄えある今年の第1位は、AirPlayに対応したBOSEのスピーカー。iPhone、MacBookとワイヤレスでつなぐと音が出るというものです。家にいる時はiPhoneの音がこのスピーカーから出るんですよ。それほどオーディオにこだわりのない自分には十分にいい音で、これを買ってから家で音楽を聞くことが増えました。スピーカーから出ている線は電源ケーブルだけなので、置き場所も自由です。電池でも駆動できるので、必要ならまったく線なしで屋外でも使える(使ってないけど)。気軽にいい音、これは買って正解!


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ということで、みなさんの2013年のお買い物はどうでした?

July 21, 2013

不完全な社会。



学生の頃にいじめられた記憶がある。いじめを黙認した記憶もある。思い出すと切なくなるので詳しくは書かない。

それでも思う。いじめはなくならない。いじめを肯定しているわけじゃないけど、いじめが根絶されるなんてことはありえない。

「いじめを根絶しましょう」という掛け声はよい。「いじめをなくしましょう」という活動は必要なのだと思う。それでもいじめは、なくなるはずがない。むしろ、いじめがまったく存在しない社会の方が不気味だ。人間は社会を作って生きる習性のある生き物。そこに生まれる優越感、劣等感、嫉妬や恐怖が、時に理性の壁を越えて、攻撃性をまとって発現することは避けられない。いじめがまったく存在しない社会って、強烈な管理社会か、みんなが麻薬でも常用している社会だろう。

いじめはなくならない。だから、「いじめをなくそう」という試みと同時に、いじめが起きた時にはどうするか、ということを考え続けなくてはならないんだ。

いじめが存在しない理想郷を追い求めるのは結構だけど、いじめが存在することから目を逸らし、起きてしまったいじめをクソミソに糾弾しているだけじゃ、どこの校長先生も「うちの学校にはいじめはありません」と報告するようになるだけだ。

繰り返すけど、いじめを肯定しているわけじゃない。ただ、いじめはなくならない。そして、「いじめをなくそう」という活動と、いじめが起きたときの対応策の検討が、ずっと並存していくんだと思う。

僕らの住む世界は理想郷ではないが、弱肉強食の修羅の国でもない。渡る世間は鬼ばかりではないが、鬼もいることはいる。そのスッキリしない現実を受け止めなくちゃいけないんだろう。それが大人の態度、それが成熟した社会というものじゃないかな。

「傷つけられる人がまったくいない社会を」と言われてもウソ臭い。出来る限りは傷つけられる人を減らし、不幸にも傷つけられてしまった人を救済し続ける、そんな地道な主張の方を僕は支持する。

June 05, 2013

東京でしか暮らせない、というのも残念です。

とあるスーパーマーケットのレジにて、前にいた50才くらいの女性が支払いのことで店員ともめてる。

「1,263円」みたいな端数の代金に対して、1,513円を払って、お釣りを切りのいい金額にしようとしたらしいんだけど、出したお金が間違っててお釣りが切りのいい数字にならなかった模様。

「だから、3円出したんだから、50円をください。」
「お客様、代金は◯◯円で、△△円お預かりしてますので・・・。」
「だから、●●円払ったでしょう!」
「いえ、お預かりしたのは△△円で・・・。」

そのスーパーのキャッシュレジスターは、上のトレーからお預かり金額を入れると下のトレーから自動的にお釣りが出てくるタイプで、店員がお金を数えているわけではない。

店員は2人がかりでその女性をなだめている。

「払ったお金はちゃんと確認してくれないと困るわ!」

女性は店員をなじっている。ほぼ確実に、お金を出し間違えたのは自分なのに。

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日本は好き。東京も大好き。すごい街だと思う。

だけど、こういう瞬間に、東京がイヤになる。高度にシステム化され洗練されたサービスが当たり前になって、ちょっとでも不具合になると途端に不寛容な態度を見せる人々。

その裏返しなのか、異常にへりくだり、丁寧すぎて変になった敬語を使う店員。

世界有数の過密な大都市には、それなりのルール、都市生活の知恵が必要なのは分かる。「エスカレーターに乗ったら急ぐ人のために右側を空ける」なんてのは合理的なマナーだと思うしさ。

でも、その高度なシステムに乗っかることに慣れ過ぎている人々の不寛容、キレやすさ、柔軟度のなさが垣間見える時、どうしようもなく残念な気持ちになるんです。

そんな時、日本に比べたら少々不便でも、私が今まで暮らしてきた途上国、日本人目線だと「遅れた国」の暮らしを懐かしく思うんですよね。思った通りにならないことも多くて、それはそれでストレスは溜まるんだけど、物事は人対人で片付けてた。

そのレジにいた女性にそんな途上国暮らしをさせたら、毎日文句ばっかりで血圧上がって早晩日本に送還とかいう結末になりそうですけどね。

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高度なシステムは、その裏にそれを支える多くの人々の献身がある。消費者が王様の国は、王様に傅く(かしづく)労働者の犠牲の上に成り立っている。

そして、消費者は、同時に労働者なのに。そこに思いが至らないのはなぜなのだろう。

日本は好き。東京も大好き。でも、そこにどっぷりとハマりすぎて、日本で、東京でしか暮らせない人になることは残念だし怖いことだと、レジでキレる女性を見て改めて思い知ったのでございます。

May 26, 2013

気付く能力。


 その窓からは、駅から出てくる人たちが見えるんですが、通路、窓と物陰の位置関係から、人が一人づつ順番に見えるんです。一人づつ物陰から出てくるように見える。

 面白いもので、グループやカップルの中の一人が見え始めたときは、たとえその相方やグループの他のメンバーがまだその窓から見えていなくても、その人が一人ではないことが瞬時に分かるんですよね。見ず知らずの赤の他人でも、その人がだれかと一緒に歩いているのか一人で歩いているのか、その人だけしか見えていないのに、分かる。

 その人が黙っていても、歩き方、表情、体の向き、そんなこんなでその人がだれかと一緒なのか一人なのか分かる。

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 たった数年の年の差でも、どっちが年上でどっちが年下か、初対面でも分かる。

 どんなに化粧して着飾っていても、男なのが分かる。

 CGで作られたキャラクターは、相当高度なCGでも実写でないことが分かる。

 隠し事をしている人、嘘をついている人、疲れている人、いいことがあった人、精神に異常をきたしている人、体調の悪い人、どこがどうとは説明できないけど、分かる。

 ものすごく精巧なヒューマノイドが作られ始めているけど、やっぱり機械であることは分かるし、まだ自信を持って「不気味の谷」を超えたとは言えないんじゃないかな。

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 人間にとって、他人の様子を気にすることが生存にとってそんなにも大事だったということなんでしょう。種族の仲間たちの様子の微妙な変化に気付けることが、進化の歴史の中で人類の生き残りに有利に働いたに違いない。じゃなきゃ、こんなにも微妙な違いを瞬時に判別する能力なんて説明できないよね。

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 「空気を読む必要がある」「同質化圧力が強い」って、ハイコンテクストな日本社会の息苦しさを批判的に言う人もあり、確かにそれもそうだとは思うんです。でも、他人が発する微妙なサインに気付くという能力が、人が進化の過程で獲得してきた能力であるならば、日本人の「察する」「慮る」っていう特徴は人の進化の最先端なのかもなぁと、その窓から外を眺めながら思ったんです。

(上の写真はダーウィンの彫像@自然史博物館です)

April 07, 2013

ルーツをたどる。

年齢を重ねてくると、「自分とはいったい何者なのか」という疑問が、自分のルーツをたどる動機になったりするものらしい。私の祖父も生前、寺や役所で過去帳を調べていたようだし。

しかし、もっと壮大なルーツをたどれるのがこれ。

The Genographic Project (2.0Beta) by National Geographic

数年前、National GeographicとIBMが、東アフリカで誕生した人類という種がどのように世界中に広がっていったかを調べるプロジェクトをやってました。東アフリカから移動を始めた人類は、いくつもの分岐を経て世界中に散っていったわけですが、その途上で遺伝子に刻まれていった「マーカー」を追跡すれば、東アフリカから始まる人類の壮大な旅「Great Journey」を遡れる。世界中のいろんな民族の遺伝子を集めて、データベースを作って、地域ごとのマーカーを調べ、その発生頻度と地域の関係をマッピングすれば、全世界に人類が拡散していった様子を再現できる。それを実際にやってみようとしていたのが、The Genographic Projectでした。

そして、ある程度のデータベースができたので、今度は希望する人がこのプロジェクトに参加できるようにしたのが、The Genographic Project (Beta2.0)。キットを取り寄せると、綿棒みたいなプラスチックの棒と、それを収める小さい試験管みたいな容器が送られてくるので、その綿棒状のもので頬の内側を擦って容器に入れて送り返すと、2ヶ月くらいで分析の結果がオンラインで見れるようになります。

自分は、東アフリカからどのルートを経て来たグループに近い遺伝子を持っているのか。もちろん祖先たちはグループ間でも混交しているわけだし、一本のルートが示されるわけじゃないですが、大まかなルートやそこを通った時期、自分と近い遺伝子を持つ人々の分布などが分かりますよ。

また、人類が誕生した頃は、現世人類の他に少なくともあと2種の人類、ネアンデルタール人とデニソワ人がまだ生きていてホモ・サピエンスと混血していたので、今の自分の中にどれくらいネアンデルタール由来のゲノムがあるのか、なんていうことも分かる。(ちなみに、世界に拡散せずアフリカにずっと残ったと考えられる黒人のグループにはネアンデルタール由来のゲノムは見つからないらしい。)

たぶん、日本人だったらみんな似たような結果が出るような気もしますが、人類という種の歴史の中で自分が今どこにいるのかを知るのは、ちょっとロマンチックじゃないですか。

ということで、既に50万人以上の遺伝子情報を集めたこのプロジェクトに参加してみましたよ。



私の場合は、日本人よりも中国人、それも中国南部の人々と近い遺伝情報を持っているらしいです。

なお、キットは199.95ドル、キットには固有番号がついていて、その番号で管理されるので、匿名で分析してもらえます。要英語。

March 20, 2013

里帰り。



帰国して都内にアパート借りてから、以前に比べれば格段に帰りやすくなった福岡の実家に、なんだかんだと理由をつけて帰っている。

どこにでもいそうな日本の平凡な一家。

家族や親戚は会社員か公務員ばかり。目立って羽振りがいいのもいないけど、食うに困っている親戚もいない。情熱大陸やソロモン流には縁のなさそうな人たち。医者や弁護士はいないし、自営業や商店主さえいない。

とはいえ、病気を抱えている者や一人暮らしが無理な老人はいて、処分に一悶着しそうなささやかな土地があったりはする。

サラリーマンとしてはそこそこうまくやり、社畜だノマドだ非正規だと穏やかじゃない世界から逃げ切りモードの父。子どもが独立してからは専業主婦で、ときどき狭い庭をいじっている母。

強いて言えば、いい年して独身で海外暮らしなんかしてた自分がちょっと異色だったかもしれないけど、それもブツブツ仕事の文句を言いながら、とりあえず東京にアパート借りたわけだし。

インターネットはつながっているけど、所詮メールかテキストメッセージくらいのもの。モバゲーにハマっている者はいないけど、ネットで買い物することもほとんどないし、たぶんfacebookのアカウントは持ってないか、持ってても腐らせてる。ネットに依存しているのは家族の中ではきっと自分だけ。スマホやパソコンがなくても困らない人たち。

電化製品はハイテクになり、車は低燃費になり、買い物するのはショッピングモールや「道の駅」になったけど、話題はもっぱら子どもや孫のこと。

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どこにでもいそうな日本の平凡な一家。

ん?そうなのか。「普通」「平凡」「一般的」?

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いずれにしても、時とともに移ろい行くあやういバランスの上の、今。溶けてなくなるあめ玉のよう。その寸暇を味わえる時に大事に味わっておきたくて、帰られる時は実家に帰ろうと思っています。またいつ、海外で暮らすことになるやもしれないしね。

March 02, 2013

春雨じゃ、濡れてまいろう。

3月1日、久しぶりに雨が降りました。

風がないとして(雨が上空から垂直に降ってくるとして)、雨の中ではどのくらいの速さで歩くのが(あるいは走るのが)いいんでしょう。速く走ると体の前面に雨を受けるけど、雨の中にいる時間は短くなる。ゆっくり歩くと、雨の中にいる時間は長くなるけど、雨を受けるのは頭の上と肩の辺りだけになる。

ということで、底面がa×aの正方形、高さがhの角柱が、距離dを速度Vで移動する時、どのくらい雨に濡れるか計算してみた。雨は速度vで上空から垂直に降ってくるとして。

で、途中の計算は置いといて、浴びてしまう雨の量をWとすると、

W=vd(a^2/V+vh)

になるような気がする。あとはExcelでも使って、変数に適当な値を入れて計算してみればいいんだけど、この式を見てるだけで分かる。

走る方が濡れないし、歩く速さVが0の時はWは無限大になる。そりゃそうだ。

February 17, 2013

趣味と本業。

いつの頃からか、ジムに通うのが日課になってます。

時にはかなり真剣にトレーニングして、けっこういい感じの体になってるんじゃない?って時期もあった。ベンチプレスで挙げられる重量も増えてね。

そして、これより上を目指すには今のままの生活だと無理だな、というところまで来たと感じられたことがあります。

筋トレって、挙げられるウェイトの重量とか、体のサイズとか、やったことに対してその成果が割と分かり易く見えるので、「このままではこれ以上は無理」というのが自覚できるんですよね。

食事の内容・タイミング、睡眠、そして当然トレーニングの量・質・タイミング。これらを全部最適化して行かないと、これ以上は伸びないなという地点に至った感があったんです。トレーニングに専念した生活をしないと無理って。

しかし、現実にはそうはいかない。仕事をしていれば、食事やトレーニングが予定どおりにいかないことはよくあるし、友人知人や仕事関係の人と夜に会って飲みに行くこともある。私の場合はさらに、転職や海外出張、海外赴任も多かったので、その度ごとにジム通いは一時中断したり、おろそかになったりで。で、「これ以上は無理」という地点から遠ざかって、また最初からやり直し。

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その道で一流と言われるところに到達した人は、きっと他を犠牲にしてでもその何かひとつに専念する決意があったんだろうなと思うのです。そこがアマチュアとプロの境目であり、趣味と本業の違いなんでしょう。

スポーツでも音楽でも芸術でもビジネスの世界でも、他のことを犠牲にしてでもそのとき取り組んでいることにすべてを捧げる選択が出来たかどうかが、プロとアマチュアの分岐点になるのかもしれない。あのときトレーニングを優先する選択をしていれば、今ごろ私はどっかのジムのインストラクターか、パーソナルトレーナーにでもなっていたかもしれない。

といって、すべてを捧げて取り組んでも、世に認められるにはさらに生まれ持った才能や運も欠かせないわけで、だからこそその道のプロ、一流、カリスマと呼ばれるに至る人は数が限られ、凡人とは違う迫力、オーラを醸し出すんでしょうね。

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まあでも、そんなにギチギチがんばらなくても、毎日どうしようどうしようって模索しているうちに過ぎて行くのが人生で、その模索する過程を楽しめればいいなって、思ったりもするんですけどね。

January 14, 2013

ビッグローダーと「私」。

物心つくかつかないかの昔に私が欲しかったおもちゃ、その名前までは覚えていなかったのですが、さすが神様、仏様、Google様、商品名が分かりました。
「はたらくじどうしゃビッグローダー」

これだこれ。一台の動力車がコースを走りながら、ポイントポイントで装備を変えてダンプトラック、フォークリフト、ペイローダーに変化し、積載物(プラスチックの玉)をひたすら動かし続ける様子を見て楽しむおもちゃです。子どもながらにこのおもちゃが意外と高価なことは分かっていて、欲しいのに親に買ってくれとはせがまなかったことも思い出します。いじらしいな。

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唐突にこのビッグローダーを思い出したのは、平野啓一郎さんの「私とは何か——「個人」から「分人」へ」(講談社現代新書)を読んでいたから。この本で平野氏は、「私」を構成するものとしてそれ以上分割できない「個人」があって、その個人が局面ごとに異なるパーソナリティを演じているという考え方ではなく、局面ごとに違うパーソナリティ=分人=もすべて自分の一部で、その分人の集合体が「私」という存在だろう、という考え方を打ち出してらっしゃる。

少なくとも「それ以上分割できない個人」という考え方は、ただ一人の神と向き合う一人の自分という図式が根底にある西洋世界の産物だろうと。そもそもperson、peronalityって古代ギリシャの演劇で使われた仮面「ペルソナ」が語源だし、本当の自分というのがまずあって、それがその時々にふさわしい仮面を付けているのが「私」の姿だという考え方のルーツは日本にはなかったんじゃないのか。

たしかに、分人の集合体が「私」であると考えると合点がいくことは多い。その辺りの事情が「私とは何か」の本で説明されています。

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で、ビッグローダー。ポイントポイントで動力車の上に載る装備が変わってダンプトラックになったり、フォークリフトになったりする様子が、その時々に役割、パーソナリティを変化させる「私」の動きを想起させたのか、急に懐かしく思い出したわけでして。

分人の集合体が「私」だというのはストンと理解できる。しかし、肉体としての「私」はひとつ。生物としての生体機能はひとつ。そしてビッグローダーには動力車がある。システムに動力を与えるものとして必須なもの。ダンプトラックやフォークリフトの装備が「分人」、動力車はそれを支える肉体だったのか。

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1977年発売のビッグローダーのコンセプトは、現在も販売されている「きかんしゃトーマスとハロルドのビッグローダー」などに引き継がれているようです。子どももいないのに、うっかり「ショッピングカートに入れる」をクリックしないようにしないと。

January 02, 2013

2013年のサイコロ。


 サイコロを振ると、1が出る確率は1/6の確率です。そういう確率・統計の基礎を初めて学んだは小学校高学年の算数の「場合の数」の章で、「確率」という言葉が出て来るのは中学校の数学でしたっけね。

 しかし、確率をいくら学んでも、当然のことながら私がこれから振るサイコロの出る目がいくつのなるのかを予言することはできないわけで。

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 日本経済の停滞を示す統計や推計、日本や世界のマクロ経済の指標、経済だけでなく保健・医療やインフラ等の社会環境についても、愉快とは言えないいろんな数字を目にします。

 が、それらの数字は私やあなたの明日の出来事を直接予言するものではない。サイコロで1が出たのは社会が悪い、政治が悪い、景気が悪いと恨んでも仕方がないのね。「6が出やすい社会を作ろう」というのも大切だけど、まずは自分の持ち駒をフルに活用してゲームを楽しもうよ。

 2013年の年の初め、それが私の抱負らしきもの、かな。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

November 26, 2012

30年の長さ。


5年ぶりにアフリカから帰国して、また都内で暮らし始めるために一月余り右往左往していたのですが、まだ実家には顔を見せていなかったので九州の地元に帰省してきました。

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実家の近くで、思いがけず小学校の時の同級生のお母さんと会う機会がありまして。その同級生は引っ越しをしてしまっていたのでそれこそ小学校の時以来会っていないし、当然その同級生のお母さんとも会っていない。30年くらい会ってなかったのか。

「あらー、久しぶりねぇ。どうしとったと?今どこにおるとね?」
「東京です。先月から。」
「まあー、遠くて大変やねぇ。みんな寂しがりんしゃろう?」

そうか、東京は遠いのだ。「東京です。先月から。」というのは「先月まで海外、それもアフリカだったんですが、帰国して今月から東京で、近くなりました。」というつもりで話そうとしていたんですけど、「遠くて大変やねぇ。」と返されたところで、その先の話を継ぐことができませんでした。

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「遠い・近い」、「大きい・小さい」、「早い・遅い」、「高い・安い」。言われてみればみんな相対的な程度を表現する言葉で、同じような基準を共有していないと表現は一致しないわけでして。

小学校の頃は、隣近所に住んで同じような生活をして、私とその同級生のお母さんの見ている世界に大した差はなくて、「基準」も同じようなものだったんだと思う。小学生の私にとって、確かに東京は遠かった。

そして約30年。言葉の端々から、私の「基準」はその同級生のお母さんの理解の域を超えていることがうかがえて、30年という月日の長さを噛み締めることになりましたよ。

しかしまた、30年を「長い」と見るか「短い」と見るのかもまた、相対的なことではあるんですけどね。

October 08, 2012

旅の写真。


私が旅先で撮った写真には人物が写っているものが少ないです。景色を撮るように、動物を撮るように人にカメラを向けることに抵抗があるから。「撮って!撮って!」って言う子どもたちを撮る、話をしている間に少し親しくなって記念に撮る、なんて場合に限られてます。まあ、中東やアフリカなど、そもそも街中でカメラを構えること自体が不穏当な行動と見られがちな地域の旅行が多かったというのもありますけどね。

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昔、旅先で撮った人物の写真に迫力があって、仲間内から「すごい」って言われていた人の話を聞いたんですけど、その人は、「もう一歩近づく、寄るのがコツ。」と言ってました。たしかにその人の写真はその町で暮らす普通の人の顔がアップになってて、その顔からその町の様子が想像できるような写真でしたが、私はその人の撮る人物写真がいまひとつ好きになれませんでした。もちろん、その人の前では「いい写真ですねー!」とか大人の対応してましたけどね。

好きになれなかったのは、人をただ被写体としてしか見てないその姿勢だったのだと思います。写真を撮る人と撮られる人を俯瞰して第三者の目で見たとして、その情景がきっと愉快なものではないと思えるような写真だったんですよね。不躾にカメラを向けられ、さらに近寄られ、アップの写真を撮られる。それを喜ぶ部外者の撮影者と、愉快ではない被撮影者。そんな情景が1枚の写真からでも想像することができるんです。写真そのものとしては非常によく撮れているものでも。

同じように旅先の人々に近付いてアップを撮っている写真でも、被写体となっている人と撮っている人の間のやさしい関係が思い浮かべられるような素敵な写真をたくさん撮っていらっしゃるのは三井昌志さん。まだ正式に「写真家」を名乗られる前に都内で個展を開かれたときに作品を見せていただいたことがあります。写真を撮る人と撮られる人の様子を第三者の目で見て、そこに微笑ましい情景があったのだろうと思わせられるような写真がいくつもありました。被写体を人として敬い、慈しみ、愛でる気持ちが写真にもちゃんと滲み出るものなんですね。

これだけ高性能でキレイな絵が作れるカメラが普及しても、出来上がった作品には撮る人の「人となり」を物語るところが出てしまう。テクノロジーが進んでも写真が芸術のひとつの分野になっていることも理解できます。

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私の写真に人物の写真が少ないのは、被写体は人であって物ではないという当たり前の気持ちがズケズケとカメラを向けることを躊躇させるから、そして親しくなってもその人の写真を撮らせてもらうという流れにはあまりならないから、要はそういうことなんです。


(※このエントリに掲載している写真はすべて筆者撮影、それも1996年頃にフィルムカメラで撮ったものです。)

September 23, 2012

アフリカの健康問題。



とにかく肥満が多いのです。日本ではまず見ないようなドーンとでかい腰回りの人、デブ特有の足を引きずるような歩き方をする人が多い。アフリカの話ですが。そんなサイズの服はどこで売ってるの?自作?って聞きたくなる人が多いです。聞かないですけど。

アフリカ域内の地方路線の飛行機とかに乗ると、「この人の隣になるのはイヤだな。」というデブが5人に1人はいる感じ。そもそもエコノミークラスのシートの幅にそのお尻が収まるのか?という人もそんなに珍しくない。

東アフリカ、ウガンダあたりだと太っていることが女性の魅力という感覚もあって、母が娘を無理矢理太らせるのが虐待ではないかと問題になったりしているし。西アフリカ、ガーナでも、女性の鎖骨が見えるのはみすぼらしいという美意識があると聞きました。

日本人と違って太っても顔の表情が脂肪に埋もれてしまうことがないのも、太ることに抵抗が少ない理由かと思ったりしてしまう。

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Global FundBill and Melinda Gates財団がアフリカで熱心に取り組んでいるのはHIV/AIDS、マラリア、結核等の感染症だったり、母子保健の改善だったりして、たしかにそれはアフリカの人々の生存を脅かす深刻な問題なのですが、実は「非感染性疾患(non-infectious diseases)」とやんわり呼ばれている症状も意外に深刻になってきてます。有り体に言ってしまえば「非感染性疾患」って肥満、高血圧、糖尿病等の生活習慣病、そしてガンのことなんですが。

元々肥満をそんなに悪いこととは思っていないし、日頃の自身の健康管理についての意識も高くない人々が多いので、今後益々非感染性疾患、生活習慣病の問題は深刻化するんじゃないかと心配です。

(余談ですけど、「健康管理についての意識が低い」っていうのも顕著。うちの事務所のアフリカ人の現地人スタッフにしても、それなりの給料をもらっていて、しかも保険に加入すれば保険料の半分は事務所負担もあり得ると言っているのに、保険に入らない。で、病院に行った時には症状が重篤になって即入院、診療費が払えないので何とかしてくれと泣きついてくる。そんなことばっかり。。。)

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アフリカだと「食糧危機」というイメージがありますが、実は食料が本当に足りていないところはそんなに多くないんじゃないかと思いますよ。本当に食料不足だとそれは「飢饉」と呼ばれるわけですが、今だと、ソマリア・ケニア国境辺りとか、南スーダンくらいじゃないかと。大方のところは食料が足りないのではなくて、流通が悪いとか、食料はあるのに人々が買えないとかいう問題だったりする。あるいはトウモロコシの粉と油ばかり食べてて栄養のバランスが悪いとか。

しかしまあ、都市部と郡部の生活の差がものすごいというのもまたアフリカの現実。肥満が多いのは都市部の話で、田舎に行くと全然違った様子が見られる。カロリー自体が足りてないというところは相当田舎に行っても滅多にないので、田舎に行けばみんなやせ細っているなんてことはまずないんですけど、タンパク質が不足してお腹がポコンと出てる子どもたちはいたりする。

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都市部の「非感染性疾患」、要は肥満が多いという問題が顕在化したガーナでは、政府が「運動をしましょう、野菜を食べましょう」キャンペーンをやったことがあります(今でもやってるのかな?)。ところが、田舎に行くと「肉なんて滅多に食べることができません」、「毎日数キロメートルも離れた水場に歩いて水汲みに行ってます」という生活が普通なので、「運動をしましょう、野菜を食べましょう」と言われても「?」です。田舎では衛生的な水、栄養のバランスの方が重要課題なのでした。

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アフリカの保健・医療分野の問題といっても、もちろん感染症対策、母子保健は重要だけれどもそれだけじゃ片付かないこともある、というのはまあ当たり前の話ですね。

September 10, 2012

マサイマラの真ん中に行ってみた。



アフリカ暮らしも5年になり、そろそろ日本に帰国しなくてはという身の回りの状況になってきたので、アフリカ卒業旅行と勝手に銘打って9月の遅めの夏休みをケニアのマサイマラ国立保護区で過ごしてきました。マサイマラ2泊、ナイロビ1泊の旅です。

マサイマラとはどういうところか、どんな旅が出来るのかはネットで調べれば詳しく出てくるし、旅行記もいろいろと書かれていると思うので、私がまたここで繰り返すのは若干気が引けるんですけれど、それでもやはりスゴイところだったので、少しだけ報告させてください。

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マサイマラはケニア南西部の野生保護区で、タンザニアのセレンゲティと接しています。で、ウィルドビースト(「ヌー」とも呼ぶけど、英語では「wildebeest」の方が通じ易い。「wildbeast(ワイルドビースト)」と綴ってしまうことも。)とシマウマの大群が季節ごとに変わる降水や草の生育具合によって、このマサイマラ=セレンゲティの領域を大移動しています。これが世界でいくつも知られている動物の「Great Migration」の中でも一番有名なものと言ってもいいでしょう。

7月〜9月はこの大移動がマサイマラに差し掛かる時期で、Mara川をwildebeestの群れが渡る壮観な光景も見られたりします。

実は、2008年末〜2009年の年末年始休暇をセレンゲティで過ごしたことがあって、その時期は動物の大群はセレンゲティ側にいて、うんざりする程のwildebeestやシマウマを見たのですが、あれから3年半。今度はマサイマラ側で見てみようと思ったわけです。

(ちなみに、セレンゲティにはビデオカメラを持って行ってました。そのときの様子はこちら。:http://www.youtube.com/watch?v=sg8Hr_Dq3Hg&feature=plcp )

首都ナイロビから約300km、小型機で40分程。地面を整地しただけの滑走路に降り立つと、そこはいきなり野生の真ん中です。滑走路の横にゾウがいたりしますし。





Olkiombo滑走路横の「免税店」。

泊まった宿は滑走路から車で数分。その宿にあった表示板。

予想どおり、野生動物はワンサカいました。







そして、百獣の王、ライオン。子どもライオンがかわいい。(雄ライオンはだらしない恰好の写真ばかりなのでブログに載せるのは止めました。)






チーターの親子。右が母親、左が大きくなった娘。チーターはBig Catの中では縄張りをあまり持たない種類で、草食獣の移動にくっついて回ることが多いそうです。


今回はすごく運が良くて、チーターの狩りの瞬間を目撃できたんです!チーターがインパラの子どもを追い回す肝心の瞬間は写真が追いつきませんでしたが、テレビでしか見たことないあのチーターの滑るような走りが見られました。写真はインパラの子どもを仕留めた後。

母親チーターが狩りをしていたんですけど、一度捉えたインパラをわざと放したんですよね。ちょっと弱らせてから、娘に襲わせる。狩りのトレーニングをさせる行動なんだそうです。ガイドの人も滅多に見ないシーンだと言ってました。


腐肉をあさるハゲワシ。昔、テレビで「動物は遠くからでも腐肉の臭いを嗅ぎ付けるのです。」というようなことを言っていたのを覚えていますが、実際に行ってみると、人間にだって腐肉の臭いは結構遠くからでも分かるもんです。

地味な写真ですが、実はかなり稀なサイ。Big Catの類よりも余程希少なんです。マサイマラでも数が限られているらしい。繁殖が遅いこと、生息範囲が限られていること、密猟の対象になっていることが理由です。私も、繁殖地で保護されているサイは見たことがあるんですが、野生のものは初めて見ました。それもちゃんと角があるやつ。角が漢方薬の材料として珍重され、角のためだけにサイが密猟者に殺されてしまうので、あらかじめ角を切り落として密猟のターゲットにならないようにされているサイもいるんです。

Mara川をwildebeestの大群が渡るのを見ようと待ち構えている人たち。結局この日、この場所では川渡りは見られず。むしろ、この4WD車が川を渡っていました。

それから、レパード(ヒョウ)。茂みの中にいることが多いので、いつも見られるとは限らないレアなBig Catです。私らは運が良かったですよ。




今回訪れた場所は、マサイマラ野生保護区の真ん中あたり。欧米では何度も再放送されているらしいBBCの「Big Cat Diary」というドキュメンタリー番組が収録されているところでもあり、National Geographicの取材が入っているところでもある、というエリア。野生の豊かさが実感できる場所でした。ジンバブエやボツワナのサファリは、乾期には乾燥して厳しい環境になるのに野生動物が息づく、というところが多く、自然の豊かさと厳しさを感じるのですが、マサイマラ、セレンゲティには川が流れ緑が深いエリアもある。肉食獣を頂点とする野生の掟の厳しさはあれど、草原は豊かでした。やっぱり、来てみないとこういう違いは分からないもんです。

そして、泊まった宿も素敵でした。「テント」なんですが、大きなベッドに趣味のいい調度、バスルームもお洒落な感じで。食事もおいしく、ホテルのスタッフの対応もプロフェッショナルでした。さすが国際的に認知されたサファリだな、という感想です。人里離れたサファリだからといって、着の身着のままでタフなテント生活をするわけじゃないんですよ。

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私がその宿に泊まっていた唯一の日本人、経営者が同じ隣の宿に日本人夫妻が一組、あとは欧米系、インド系の宿泊客ばかりだったので、宿の人に「日本人客は来る?」と聞いてみたんです。そしたら「来ないことはないが多くはない。」との返事。日本人はどこでも旅行しているし、ケニアのサファリに来る人も少なくないだろうと思っていたのでさらに聞いてみると、日本人は「DoDo World」のツアーでマサイマラの東の方にたくさん来ているとのこと。なるほど。

「DoDo World」という名前は聞いたことある。たぶん、ホームページはこれ。たしかに、勝手の分からない海外旅行、ましてアフリカのサファリとなると代理店に頼むのが安心ですよね。さらに英語が苦手な日本人となると、代理店を通して日本語でのサポートが付く旅にするしかないかも。

ただ、ちょっと英語が出来るなら、インターネットのこのご時世、自分で手配するのも悪くないですよ。ほぼ全ての宿はネットを通じて予約できるし(というか、世界中からお客さんが来るのにネットを通じて予約できない宿は存在しないのと同じ)、飛行機やその他の移動手段も予約できる。若干手間はかかるかもしれないけど、自分の都合や好みに合わせて手配ができます。

今回のマサイマラ旅行もネットで行きたいエリアや宿を検討して、懐具合と相談しながらの自己手配旅行でした。すごくいい旅先だったのに日本人があまり来ないと聞いてちょっと残念だったので、自己手配の個人旅行をオススメしておきますね。


あ、その場合、予約はホテル比較サイトのようなページからではなくて、泊まろうとしているホテルの公式サイトから予約するのが吉。泊まる予定のホテルと直接やり取りした方が何かと確実ですよ。「最低価格保証!」などという予約サイトでちょこっとケチったばかりにトラブルになったりしたら折角の旅行気分も台無しですし、中間業者が入るとホテルへの質問や要望も連絡しにくい上にトラブルがあった時の解決もややこしくなりますからね。